レバノン紛争停戦1周年 =激写リストに戻る=

イスラエルの地上部隊が撤退した後の町、ビントジャベイル。教室からも空が見えるようになってしまった。

これで生き残った人がいるのか不思議である。

獣道ならぬ戦車道。

こちらはキリスト教徒住民地区と違いモスクの周りも変わり果てた。

無人の町だと思っていたら生き残っていた市民が飛び出してきてイスラエルを激しく罵る。

もう助けを求めなくなった手。

動かなくなった弟の手を見て泣き崩れる姉。
この後カメラマンに向かって石が投げつけられた。

木を登る車ではない。バンカーバスターだろうか。

私の下宿のすぐそば。

見事に猫の子一匹いないビーチ。例年ならレバノン国内はもちろん、中東、ヨーロッパからも観光客がわんさかである。

高層階の部屋に湯船。もちろん町中断水である。

ヒズボラどころかレバノン国軍もアパッチの攻撃を受ける。

国連車両でも安心できない。

レバノン国軍の基地を通り過ぎた途端ドカン。アパッチの攻撃を受けるときはヘリの轟音も爆発音も全く聞こえない。

後ろを走ってたワゴン車もドカン。

ただパンを運んでただけだがルーフから一発。

犠牲者はパン屋のおじさん一人だけ。

救急車というより遺体運搬車。

遺体の確認も辛い。

空爆現場に駆けつけた途端に二発目がドカン。車に乗っていなかったらどうなっていただろうか。乗っていた車はアパッチから撃たれたヘルファイヤーミサイルの破片でズタズタ。こんな破片が頭に当たっていたら今頃息をしていないか。

ただでさえガソリン不足というのにこれでまたガソリンは値上げか。

これがかの有名なヒズボラの指導者、ハッサン・ナスララ。

弾痕からしてイスラエル軍の車載機関銃。
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