下にあるのはワシの手書きの汚いシークレット履歴書や。クリックすると拡大するそうだが、見たら目がつぶれるかもしれん = ホームに戻る = |
日本大学客員教授を委嘱されました。日大教授会と学長から正式に委嘱されましたので名刺に刷ろうが名乗っても問題ありません。 毎度!不肖・宮嶋でおま!! ごっつい事である。ありがたい事である。不肖・宮嶋、堂々のホームページなのである。歴史的快挙である。何ちゅうても、こういう本人がパソコンとファミコンの区別すらつかないのである。現にイラクから写真を電送するのには特訓を要したほどなのである。 しかし、怖いもの知らずとはよく言ったもの、ここにドーン!!と開設に至してしまったのであった。巷にあまたあるホームページからわざわざこの不肖・宮嶋のコーナーにアクセスしていただいた方のために、ここではずかしながら自己紹介させていただこう。 氏名!!不肖・宮嶋こと宮嶋茂樹である。世間では不肖・宮嶋が本名だと思っている方もおられるようだが、宮嶋茂樹が本名である。 昭和36年生まれ、兵庫県明石市出身である。明石と言っても御存知ない方もおられるであろうが、タイとタコと日本標準時だけがとりえの、東と北を神戸市に囲まれた小さな町である。 この明石に暮らしながら私立の白陵中学・高校に通いながら、18才の時に一念ほっ起して、上京するのである。もちろん進学のためである。そこから先の波乱万丈の私の半生については、拙著を読んでいただくとして、とりあえず現在は「写真界のハリソンフォード」「カメラを下げた渡り鳥」などと心の自称を持つフリーランス・フォトグラファー・わかりやすく言えば根なしバッタカメラマンである。 しかし…ただのバッタカメラマンではない。今やトキのように絶滅寸前の報道カメラマンなのである。これからカメラマンになろうとする青年たちは覚悟してこのホームページを見るように!!ファンと称する婦女子の方々も気合を入れてみるように。 そしてカメラマンになろうなどと不謹慎な考えは捨てるように厳に言い渡しておく。私を敵に回すとこの世に生まれてきたことを後悔するぞ。そして娘さんよく聞けよ。カメラマンにはほれてはイケない。ただし私は例外である。 |