この不肖・宮嶋ですら言葉を失った
ロシア、北オセチア共和国、
ベスラン第一小学校の信じられん光景
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  いったいどこにあるんや?
と不覚にも出遅れたものの、特殊部隊突入からすでに5日もたっとるのに、校舎は焦げ臭いにおいとむせるような血のにおいで充満していた。
世界中の人を震撼させた大事件のわりにあまり現場検証を十分にやっとるとも思えん。校門の近くで偶然テロリストが使用したと思えるロケット砲弾を発見、直ちに学校に届ける。クラスターの不発弾ではない。
これが明らかな使用済みでワイアーが引っ張られたブービートラップ(仕掛け地雷みたいなもん)
でもないことぐらい確認できる知識はあるつもりである。



こんなのどかな町でなんでこんな史上最凶のテロ事件がおこったんや。
小学校のまわりであんな凶悪な事件があったことも知らず牛が草を食み、にわとりや七面鳥が走り回っていた。
ベスラン市は北オセチアとイングーシ共和国のボーダー近く、あの大相撲の露鵬の出身地ウラジカフカス市の隣、まさにウラジカフカス空港のある町なのである。たどりつくだけで数日かかると覚悟していたものの、なんのなんのモスクワから日に2便もフライトが
でていたのである。人口わずか3万5千、そのうちの1200人以上が人質になり、350人以上が一日で殺され、その数倍の市民が負傷したのである。
なんちゅうても隣町のなまえがウラジカフカス、ロシア語ではカフカスを征服せよの意味である。
それだけ帝政時代からロシア中央政府のカフカス進出の足がかりとなっていた町で北オセチアの大多数の市民はロシアへの帰属意識が高く、キリスト教徒である。
かわってこの周囲のイングーシ、ダゲスタン、問題のチェンチェン等の共和国みんなイスラム教徒が大多数を占めている。
 
  何千人もの被害者とその家族の苦悩、犯人たちへの憎悪は察するにあまりあるが、市民の反応も比較的冷静、このあたりも60年以上前の恨みをいまだ感情的に表現する極東のどこぞの国と違って国民性かキリスト教徒のゆえんか。
あっ、ちなみにウラジカフカスと同じような名の町がロシア極東にもある。
そうウラジオストクである。正確にはウラジ・ヴォストク、こっちは東方を征服せよの意である。
校舎の前にはテロリストがはいていた靴などこの事件で使用された弾薬などがごろごろ市民にさらされていたが、それらをどつきましたり、けりあげる市民はおらんかった。
かわりにふくざつな視線を落とすばかりであった。
靴は爆発の破片でずたずた、ちのりもまだ乾いていなかった。
 
  校舎の中はまさに地獄絵図
現場検証は一応したのやろうが、まだ証拠のブツがゴロゴロの中市民どころかわれわれですら自由にどこでも立ち入れる。
争いで犠牲になるのはいつも弱者、女、子供、確かに耳障りがいい言葉だが、現実にはこの犯人グループのなかには女テロリストが複数いた。
この教室で自爆したのも女テロリスト、大量の爆薬を体にまき、特殊部隊に追い詰められてもはやこれまでと点火、肉片と血糊が教室のかべに付着した。不肖・宮嶋もここで犯人の長い髪の付着した頭皮を発見。
どうせ自爆するなら一人で離れたとこでやればいいが、このときも当然一人でも多くと人質をまきぞえにした。
 
  ここがかっての学校とはとても思えん。
まるでボスニアの廃墟である。
このせまい空間に1200人以上の人質が閉じ込められそれでこの弾痕と爆発跡である。よく350人の死者ですんだのが信じられん。9月1日の入学式に送り出した孫が冷たくなって帰ってきた祖母はとりつかれたように孫の遺品をさがしまわっていたが、この前の教室でとうとうその日入学記念のおいわいにおのれの手から孫に渡した花束を発見。嗚咽が校舎じゅうに響き渡っていた。
 
  ナチスの焚書、中国の文化大革命、書物を粗末に扱うやつは野蛮人と古今東西決まっている。
図書館にあった本をバリケードがわりに窓に並べていたテロリストたち。
この図書館の床下にテロリストどもは大量の弾薬、武器、食料をあらかじめ隠していて当日人質に掘り出させた。こんな残酷なことを長い時間をかけ周到に準備しといたやつである。
はなから人質を生きて解放するつもりもなかったのであろう。
 
  こんなちっちゃい町で350人以上が一挙に殺されたのである。
猫の額だったような共同墓地で間に合うわけもなく、そのとなりに今回の犠牲者だけの墓地が新たにできた。
それでも墓が間に合わん。墓堀りが掘っても掘っても、間に合わん。墓地中で嗚咽と悲鳴が止むことはない。こんなんが350回以上、続くのである。キャンセル待ちならぬ、墓穴待ち状態なのである。
 
  遺体もまだ誰か分かるのはましなほうである。いまだ行方不明者のほとんども男女の区別もつかんほど損傷がひどいのである。
13歳の少年の死に顔は爆破の破片と銃創で傷だらけ。
これじゃああまりにかわいそうである。死に化粧のひまさえないのである。
葬儀屋の棺おけが間に合わんぐらいである、この直後もまた隣で、小さい町である。市民ははしご酒ならぬ、葬式のはしごの毎日が続く

テロちゅうんは無差別やら始末が悪い。どうせ恨みがある、何かを世界にむけて訴えたいとゆうたって、無抵抗なこんな一般ピープル泣かせて誰が理解をしめすかどうせやるならプーチン狙え、それができん、もしくはつかまったり,おのれが死ぬのがいややからとゆうて狙いやすい一般市民を狙ったもう人間の所業とも思えん。
 
  9月1日事件初日
かろうじて逃げ出し生存した7歳の少女いとこは射殺され、弾痕だらけのかつての学び舎にもどってあまりの変わり果てぶりに恐怖がよみがえり思考を停止したまま。レンズを見つめる目に感情がなかった。
 
  やっぱりとゆうか早速とゆうか、イスラエルからルフトハンザの航空便で600束のりっぱなばらの花がベスラン市民に贈られてきた。犠牲者の中にユダヤ人も少なからずいたからとゆうより、同じイスラム教徒によるテロの犠牲になったとゆう仲間意識のような気がするが。600束のばらは校舎を一周してもあまり、残りは墓地に飾られた。
つづいてドイツから弔問団、アメリカからはもろCIAぽい調査団(推定)、プーチンはもとより。日本の政治家が現場に駆けつけるのは選挙区の政治家ぐらいか、それでも結構遅いが。
 
  みな楽に殺されたのではない。テロリストどもはおのれらは水も飲み持ち込んでいた食料も食いながら人質は狭い空間にすし詰めにしたまま水すら飲ませなかったのである。人間何がつらいといったかてに、のどの渇きほどにつらいものはない。現場には飲みたかった水を花といっしょにそなえる人があとをたたず、ペットボトルでいっぱいになった。
 
  墓は一家でひとつのわけもなく、なかには親子もろとも兄弟みんな、家族でただひとり生き残った少年もいた。
 
  こんな惨劇にもかかわらず、憎悪の対象はチェチェン人より意外ととなりのイングーシにたいするほうが多数である。唯一生きたまま捕らえられた犯人の男がテレビカメラの前にひったてられたが、その男にイングーシなまりがあったことから、ああやっぱり黒幕はイングーシ人だったかと市民の怒りはそこに向かう。犠牲者の中には大多数がキリスト教徒とはいえイスラム教徒やユダヤ人も少なからずいた。私の滞在したホテルのすぐちかくにモスクがあるが毎夕大音量でコーランを流していたぐらいである。モスクが焼き討ちにあうような無差別に怒り狂う市民より雨の中キャンドルをともし続ける静かな抗議のほうが多かった。
 
  わが国でも大阪、池田のあの宅間守による大阪教育大付属小の児童8人殺人事件、京都のてるくはのる事件と学校を舞台にした凶悪事件があったが、事件後の安全対策はせいぜい拳銃所持した警察官による警戒かまる腰の民間ガードマン頼りだが、この国はこれである。どんな理由によっても軍隊嫌いの日教組のセンセイ方が卒倒しそうである。
 
  お犬様登場
しかし・・・学校に地雷探知犬があらわれるとは・・・
お国柄というか・・・
しかしなんという頼もしいというか、かしこそうなシェパード(?)であろう。
 
  ベスランのほかの学校もあの9月1日以降臨時休校が続いていたが、ロシア国家非常事態省とOMON(ロシア内務省軍)が音頭とって特殊部隊員と警察所属の地雷探知犬を登場させ、ベスラン中の全学校を捜査。もちろん第一小学校のように床下に武器や爆発物が隠されてないか調べるためである。これが済まんことには子供を安心して学校に行かされんと親ならまあ当然か。ただし過保護で勘違い親はこの国には少ないらしく、あんな事件があったばかりで子供たちが銃を見て怖がり、恐怖がぶりかえすから・・・特殊部隊はくるな!なんてこと言うやつはいなかった。
 
  軍隊は神聖な学び舎から出て行け!なんて叫ぶセンセイはこの町にはいない。
あんな悲劇があったのである。
先生方も軍や捜査当局にも協力的。
 
  9月1日
べんきょうのはじまりです
と黒板に書かれたまま、そのままずっと臨時休校がつづく。
それでも第1小学校の悲劇よりはましなほうである。
犬による爆発物の捜索のあと特殊部隊員による捜索、
それでもなかなか授業は再開されない。
 
  あまりに絶望と悲しい写真ばっかなのもなんなので、ここらでほっとする救いのある写真を。
となりがグルジア共和国(今はソ連から独立したれっきとした国)のせいかなぜかいまだにスターリンの銅像に花が絶えない。
あっ、スターリンはロシア人やないで。レーニンにつづくソ連の指導者であり、首相でありそして、自国民も粛清という名で何万人殺したか、正確な数字も今となってはようわからんぐらいの独裁者。これがグルジア人。独ソ戦で非協力的だったチェチェン人を何万人もシベリアに追放したことが、そもそもロシア人がチェチェン人の不信感を買うきっかけともなり、今回の紛争の火種にもなっとる。そのスターリンをいまだ英雄視する風土がこのオセチアにはある。フルシチョフでさえ批判したというのに。
これがチェチェン人にとって気に入らんからといってこのテロ事件を起こすきっかけとなったとしても、世界中の誰一人して賛同するわけもない。
 
  小学校のすぐ隣の家にもかかわらず、まだ娘が就学年齢に達してなかったため難を逃れた軍人一家。朝父親の出勤を見送る。
 
  ベスラン市内全校休校のため自宅の家業を手伝いながら自習をつづける生徒。幸運にも被害にあった第一小学校と別の学校に通っていた。家業は市場の商店。ここの協同屋外トイレの前でトイレ利用客からチップを受け取るお手伝い。この日雨だったが午前中ずっとここで自習をつづけていた。ちなみに利用料金は30ルーブル(100円ちょい)午後はこの子の姉がずっと自習していたロシアの二ノ宮金次郎姉妹。まあ女の子だから二ノ宮金次郎というのは不適切な表現か。
 
  第一小学校での授業再開は当然無理。生徒は近くの各校に分散して通学することになるも、しばらくは学校に入るだけで恐怖のフラッシュバックになやまされるであろう。学校をリフォームすることはあきらめ、第一小学校はこの近くで新築されることになり、ここはとりこわされ、テロに対して犠牲者になった市民と生徒のための慰霊碑を建立するか、慰霊公園になる予定。近くの農家のボランテイアが校舎の机やいすを処分するため、運び出している。
 
  一番犠牲者が多かった体育館跡は弔問に駆けつけた市民が供えた花とお菓子でとうとううめつくされた。地元のしきたりで、40日間はこのままにされ、その後取り壊される予定。
 
  第一小学校すぐ近くの第6小学校では念入りに警察プラス軍の警備つきあたりまえだが父兄からもクレームはでない。
いまだ行方不明者全員発見できず。
校舎内には行方不明者ビラがいたるところに。
これは遺体の損傷が激しいということのほか、事件後の混乱で遺体や負傷者や遠くの病院に運ばれてしまったということもあった。

 
   
 
  ソ連時代の名残り。
小学校地下にはかっての軍事教練用の射撃場が。
射座の土嚢にもナイフを差込み、爆発物を捜索する特殊部隊員。
しかしそんなことして、ほんまにあったら危ないような気がするが。
 
  おりこうそうに見えてもそこはやっぱり犬、爆発物よりカメラに興味を示し、あまりやる気が見えん。
 
 
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