俺様の模型道

V-1(FIESELER Fi103)
1/48 スケール
タミヤ製
製作日数 2週間

V-1(FIESELER Fi103)

よくぞまあ天下の田宮がこないなマイナーな兵器を…コックピットもランディングギアもない単純な構造で1時間もかからず組みあがってしまう。ご存じ第2次大戦中、ロンドン市民を震えあがせた現在で言えば「ドローン」の無人機である。2000発以上がドーバー海峡を越えていったV-1である。世界初のパルス・ジェット搭載の今の巡航ミサイルの起源というてもええやろうが、如何せんそないに早くなく,ロイヤル・エア・フォースの戦闘機に発見されると追いかけられ、追いつかれると主翼でちょこんと当てるとコントロールを失い、ドーバーに落ちていったとおうが、まあいくらそないに早くないというても広い海の上で当時のレーダーだけで発見はかなり困難やったのは容易に想像がつく。このV-1の通り名だけで有名になったが、正式にはフィーゼラー Fi103,,あのムッソッリーニをも救出した傑作偵察機「シュトルヒ」と同じくフィーゼラー社製。この後継のV-2も1/48スケールでキット化されている。それも買ったが、取説には書いてないが、その,V-2を開発したのはフォン・ブラウン博士,1912年、当時はドイツ領だったポーランド生まれの天才というか変人科学者で、人類で最初の宇宙旅行を夢見、それを実現させようとした。ある意味、当時はやっぱり天才というより大変人である。そしてその夢の実現のためにはナチスにも協力したのである。つまりロンドンを火の海にしたV-2ロケットは宇宙ロケットの技術で開発され、その性能を実証した形になったのである。もちろん当時のドイツ秘密警察ゲシュタポがそんあフォン・ブラウンの真意に気が付かんわけもなく、厳しい監視下にあったものの、当時最先端の巡行ミサイルでもあるV-2の開発、運用にはフォン・ブラウン博士が必須の存在と知るヒトラーの庇護と寵愛を受けてい多と言われ、大目にみられたいたという。当時アメリカと並んで核開発に勤しんでいたドイツは原爆を開発した暁にはこのV-2に核弾頭を搭載する予定やったのは想像が難くない。幸いにもその前にドイツは降伏したものの、米ソが彼ら優秀なロケット科学者をほおっておくわけもなく、フォン・ブラウン博士らドイツ人技師らは、V-1,V-2で多くのロンドン市民が犠牲になったのにもかかわらず戦犯に問われることもなくアメリカに亡命、戦後はアポロ計画に参加、人類を初めて月に送ったサターンロケットはフォン・ブラウン博士らが中心となりV-2ロケットのノウハウをも活用し開発したのである。「人類は戦争のたびに著しく科学を進歩させた。」の言葉をまさに実証させた。ほんと皮肉である。人類は戦争せんかったら、そりゃあ平和で平穏ば日々を送れたやろうが、いまよりもっと原始的な暮らししとったかも…飛行機もインターネットもない生活を。

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