死なないと帰れない島 

死なないと帰れない島
著者 酒井聡平
発行 (株)講談社
定価 2,300円(税別)

今年、静内で行われた88式地対艦誘導弾の実射取材でお目にかかった北海道新聞静内支局の酒井聡平支局長がこの著者である。酒井記者は土日は「新聞記者」ではなく、「旧聞記者」として活動されており、同じく硫黄島をテーマにしたものは「硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ」の著者も酒井記者である。前回の「硫黄島上陸」が日本軍の遺骨収集を通じての日本軍の行動と戦後処理が主なテーマであったが、今回は硫黄島の戦いまで硫黄島で住み、暮らし、生活を営んでいた島民が主人公である。実は硫黄島は行政的には東京都であり、旧島民も都民でった。
あのC.イーストウッド監督のハリウッド映画「硫黄島からの手紙」でもその町中が出てくるが、日本軍は硫黄島の軍事的重要度が増しつつあった時から、その戦いが過酷なものになることが予想され、非戦闘員である島民を巻き込むことを恐れ、一部軍属となった島民を除き、全島民を内地に疎開させた。島民はどちらが勝とうが、戦闘が終わり、戦争も集結、平和になたら硫黄島に帰れると思うていたが、、80年経っても、それは1人として叶っていない。島に帰れてもそれは慰霊祭など一時的であった。旧島民だけやない。今年は硫黄島の戦いから80周年であり、我らが石破茂首相も日米合同の慰霊祭に出席したが、硫黄島に4度も訪れ、そのうちの1回は豪内に宿泊までしたというこの不肖・宮嶋に取材の機会は与えられなかった。ぼうーとむこうから声がかかるのを待っていたわけやない。
もうあらゆる伝手をたどり、その可能性を探っていた。一縷の望みをかけた、10年前と同じ、アメリカの在郷軍人会の主催するツアーに参加し、アメリカから硫黄島に入国するという手も当然、当初から保険で当たっていたいたが、今年はツアー参加条件になぜか「アメリカのパスポートホルダー(所持者)に限る」という10年前にはなかった条件が課せられ、あきらめぜらるを得なかった。10年前は入管職員をアメリカまで派遣したり、めんどうくさいからとツアーの主催者に日本政府がねじこんだからと、ワシは邪推していているが、まあそれでもあの石破首相がおざなりで行くより、わしが行った方がせめて英霊には慰めになったと思うたんやが、とにかく万策尽き、諦め得ざるをえんかった。日米両政府、自衛隊米軍と交渉の窓口を探ったが、どこもかしこも「代表取材」のみと、けんもほろろ。こりゃあ旧島民の帰還もそうとう壁がたかいはずである。