第2次大戦におけるイタリア軍ソフトスキン車両 

第2次大戦におけるイタリア軍ソフトスキン車両
著者 吉川和篤
発行 伊太利堂

ご存じ、イタリア軍の第一人者の著者がワシの写真展におこしになった際に本書をいただいた。よくぞまあ、こんな珍しい軽車両ばかり特集れ写真集まで出版されたもんである。戦車のような重装甲と違い、装甲が薄いから「ソフトスキン」というのやろ、知らんかった。特に日本の「銀輪部隊」と同じ自転車部隊があったのには驚かされた。しかもビアンキ社製、日本軍の銀輪部隊と違うのは自転車のフレームに重機関銃を組み合わせるデザインまであることである。さすがファッションの国のデザインである。目を見張ったで。で、本書で長年抱いていた謎がひとつ解けた。それは1999年のコソボ紛争終結後、NATO軍がユーゴに進駐した際、目撃したイタリア軍の装備である。今もウクライナが加盟を切望しているNATO,北大西洋条約機構であるが、当時も米軍が主導する西側最大の軍事同盟であり、そこには2次大戦の敗戦国であった独伊軍も含まれ、コソボにも最新兵器とともに派遣されていた。まあ同じ敗戦国でも独伊にはけったいなケンポーがないので、堂々と「軍隊」を派遣し、国際社会に貢献できるのである。そこで、コソボの派遣先にもよるんやが、イタリア軍が派遣されたのはペチ、コソボからセルビア人が追放される前には古い修道院があった町で、NATO軍による空爆下訪れた際にはきっつい蒸留酒をいただいた。空爆後停戦になり、イスラム教徒であるアルバニア人とともにコソボに入場してきたNATO軍のイタリア軍はみな識別のためか、ヘルメットに黒い羽根飾りをつけていた。そんなんつけてるんは米英独仏軍におらず、やっぱさすがファッションの国やと妙に納得したが、それは「ベルサリエリ兵」の「ピューレ」と呼ばれる、由緒正しいもんやったのである。四半世紀の時を経て、謎が解けた。