発行 | 産業経済新聞東京本社2024 |
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定価 | 一部140円 月ぎめ3,900円(税込み) |
「話の肖像画」もそろそろ終盤に差しかかってきたが、今回もワシの人生の中で最も過酷だった南極観測隊への同好取材の話である。インタヴュアーの芹沢記者とは同時期第38次南極観測隊オブザーバー同士として砕氷艦初代「しらせ」に乗って南極大陸まで確かに行ったのは前回で説明させてもろた通りなんやが、「しらせが」が昭和基地沖合いに投錨してから先が全然違った。12月中旬に南極大陸沿岸部、日本の昭和基地のあった東オングル島から16キロ地点、通称S-16地点に海上自衛隊の当時の極地大型輸送S-61ヘリ(ややこっしいですが…)から降ろされて以来、芹沢記者と顔を合わせたのは大陸内陸部に出発する直前の一回だけ、後は2か月以上たって、昭和基地に戻ってくるまで全く会わなかったくらい、それくらい南極でいったん基地離れたら会う機会はないのである。ワシはその間何ーんもない大陸内陸部への内陸旅行隊や1000km離れ、富士山より標高の高いドームふじ基地派遣隊員の生活なんかを取材するしかなかったが、それは報道写真家が1000万円もらっても二度と行きたくないほど、過酷なもんやった。芹沢記者はその間、南極一メシがうまく、個室とはいえサウナがある昭和基地で文字通り、ぬくぬくと快適な生活おくりながら、ペンギンやのアザラシやの生物やオゾンホールやの環境問題を取材し、きれいなもんばっか撮影してはったんやと、ひがんでいたが、実際はもちろん、そんなことなく、夏…というても南極大陸では太陽が出ずっぱりで、「しらせ」が氷海に接岸している12月から2月までの正味3カ月しかないため、設営隊や機械担当始め夏隊はまるで奴隷状態で過酷な作業を続けており、それはオブザーバーのはずの芹沢記者の労働力さえ必要とされてたのは内陸旅行隊のワシと同じであった。本当にお互いご苦労様でした。
他には「花の都 熱戦開始」とパリ五輪が開幕の一報が掲載されている。これ以降は各紙、各局五輪での日本人選手活躍一色になっていくことであろう。