産経新聞 7月18日号 

産経新聞 7月18日号 産経新聞 7月18日号
発行 産業経済新聞東京本社2024
定価 一部140円 月ぎめ3,900円(税込み)

「話の肖像画」連載17回目でやっと、社会人になってからの話になった。ところが卒業したてのころは、さほど忙しくなかった。創刊は秋やし、それまでは5号ほど、ダミー版、パイロット版ともいう広告代理店用などに、創刊号と同じような形態で本を作るくらいで、さほど緊迫感がなかった…といいたかったんやが、初仕事でいきなしカメラ、正確にはストロボぶっ壊されたりとか緊張感丸出しのダミー版用の仕事もあったんやが。まあそれでも修行ということで、週末の歌舞伎町でハプニングなどを狙い、朝まで写真撮り続けるみたいな「練習」もあったりした。要は写真の質よりどうやってトラブルを回避するかの技術取得みたいなもんやったのである。専属カメラマンは計7名、ワシが最年少であった。そりゃあ当時の歌舞伎町はまだ表に代紋掲げた事務所あったりで、それでも外国人犯罪者がブイブイ言わせる今の歌舞伎町のほうが怖いか…また創刊したら皆でそろってなんかするなんて到底無理やし、またチームワーク養うという目的も兼ね7人そろって秩父に日帰り旅行したり…わしの当時の自家用車は大学4年のときに寮友から15万円で買ったニッサン・ヴァイオレットも提供したが途中ラジエーターから水漏れおこしたり、それでもまあ若いカメラマンどうしで楽しい思い出となった。唯一の女性カメラマンだった長谷川美子さんもいっしょだったが、彼女はすでに先発の写真週刊誌「フォーカス」で病室の川上哲治巨人軍元監督のスクープなんかを上げた先輩カメラマンで、ライフワークとして女子マラソンの増田明美氏などを撮っており、ニコンサロンで写真展なども開催していた先輩カメラマンだったが、創刊前の時間あるうちにとインドに取材旅行に行く際も皆で成田空港まで見送りにいったりしていた。結局長谷川さんは後にそのインドで消息を絶ってしまったが、いまやと大事件やが、当時はなぜか新聞、テレビニュースでも話題ならず、次の女性カメラマンが決まるまでしばらくかかった。当時婚約者もおられたはずなんやが、我々は線香一本上げることも叶わなかった。他には23面に「想定外の都知事選」の記事と写真が掲載されているが、もはや、憲法同様古すぎて今の公職選挙法では選挙掲示版を広告に使うなんて発想は想定しておらず、1人の候補が24人分のスペースを「買い占め」ても取り締まれんやなんて…そんな候補者のために掲示板拡張することも検討されたが、結局間に合わんと断念やと。選挙法は国会議員に不利にならん限り、すぐにも変えれるが、憲法はそうはいかん。現政権与党が少数与党に落ちぶれた現在は戦争にでも巻き込まれん限り無理やろ。