ストライク アンド タクティクル マガジン 5月号

ストライク アンド タクティクル マガジン 5月号
■発行 (株)SATM
■定価 1,900円(税込み)

今回のSATマガジンの連載も遅ればせながら能登震災である。これはミリタリー専門誌全般に言えるが、訓練や演習の取材には積極的に人を出すが、災害や実戦などの有事取材にはあまり積極的やないように思える。各国軍隊にとってその主任務はあくまで「国防」、その装備、練度等でその精強さを図ることができるが、災害派遣も国民の生命、安全、財産を守る大事な任務のはずである。特に災害派遣は訓練では予期しなかった様々なトラブルや不安要素が発生し、それらに対処できる能力もその部隊の精強さを図る基準になるハズなんやが…特に能登半島震災は元日に発生したということもあり、雑誌媒体の初期取材の動きは鈍かったように思える。他には14Pにわたって水陸機動団の特集を急遽組み、写真を提供させていただいた。水陸機動団、その前身は西部方面普通科連隊、連隊から旅団に規模も装備も能力もスケールアップしたのだが、ワシは2006年の西部方面普通科連隊発足時から縁があって撮影しつづけた。特に2004年イラクにワシらとともにイラクで苦労を共にした当時の第1次イラク復興支援群長の番匠幸一郎当時陸将補が西部方面隊の幕僚長だった2006年に発足したということや、第2次モザンビークPKO派遣、輸送調整中隊のドント派遣小隊長だった黒沢晃当時1尉が1佐まで昇進され西普連の連隊長務められていたという数奇なご縁があった。黒沢1佐はその翌日統合幕僚監部の特殊作戦室長に栄転され、しばらく後、東京麹町で交通事故に遭難、非業の死を遂げられた。まあそんな縁があり、西普連が水機団と名を変えてからも、その故郷、長崎県佐世保市の相浦に始まり北海道から沖縄まで…だけにとどまらず、アメリカ西海岸やハワイにまで取材に出かけた。そのほんの一環として、この度14Pにわたって紹介された。惜しむらくはセレクトされたカットをワシが現像できる時間が欲しかった。