正論  8月号

正論 8月号
■発行 産経新聞社
■定価 900円(税込み)

今回の連載はマジでやらせていただいた。現に10月20日にも阿蘇山大噴火や。幸い死傷者は出てないが、なんちゅうても九州いや日本列島は火山列島や。47都道府県、富士山やろうが浅間山やろうが、どこで大噴火起こるか、大地震おこるか分からん、日本にいる以上近い将来どこにいても災害はやってくると覚悟新たにするべきなのである。そんな火山列島でも初めての「火砕流災害」しかも今回は42名に方が亡くなった大惨事、しかもそのうち16名がカメラマンや記者やメディアのエンジニア達やったのである。しかもその現場にわしも3日後に立つはずやったのである。いやいや、言うとくがワシは他人の大惨事を後になってから自分も一歩間違えたらそれに巻き込まれていたかもしれん・・・なんて自分の好運や武勇をうれしそうに話す悪趣味な自称ジャーナリストとちゃうで。いや・・・それよりもっと卑劣漢や。日ごろあれほど現場こそ我が家、修羅場こそ団欒とコキながら、30年前の6月3日以降普賢岳の現場に一回も立ったことなかったのである。それは我らを現場まで運びそこで待機したせいで犠牲になった現地のタクシーやハイヤーの運転手や我らが勝手に無人となった民家なんかにしのびこまんよう警戒して現場に居残ったために火砕流にまきこまれた消防や警察官の遺族から非難されるのが怖かったのである。他のカメラマンがバリバリ現場の立ち入り制限域にまで入りえぐい写真発表してるのを尻目にである。しかし、やはり行ってよかった。島原に。ええとこでっせ。わしは九州では長崎と一番縁が深い。でも・・やはり行けなかった。6月3日の普賢岳ではフォーカスの土谷カメラマンも犠牲になった。週刊誌のカメラマンが現場で亡くなったのは初めてのケースとなったはずやが、フォーカス編集部は、新潮社はどう対応するのか週刊誌媒体でシノいでいたワシもおおいに注目していたが、その週のフォーカスでは土谷さんの遺作となった作品やいつものセンセーショラルなカットでなく、特段かわったことのないページとなっていて、拍子抜けしたが、その約一月後ぐらいやったかな、フォーカス誌面で、土谷さんが遭難時はめていた焼けただれたロレックスの腕時計のアップを一面にした大特集が組まれていた。それ以降我らも腕時計にも金かけるやつが増えた。できるだけ頑丈なブランドに。新聞社やテレビ局の社員記者やカメラマンみたいに労働組合にもばっちりかかえこまれてたわけもないワシら出入りのカメラマンの殉職をフォーカス編集部や新潮社がその週の特集だけで応えたわけではんく、ご遺族が新潮社で働くようになられたとあとで聞いた。他には同じく30年前不肖・宮嶋と同時期に内戦直後のカンボジアでPKO(国連平和維持活動)に従事されていた元陸上自衛隊の高山良二氏の「カンボジアで芽生えた日本への憂慮」が興味深い。これは単なる郷愁を誘う昔話でなく、われら日本で平和の惰眠を貪る日本人へのカンボジアで今だ地雷と戦う同じ日本人からの警鐘である。高山氏はワシの中学時代の同級生でもあった陸上自衛隊中部方面総監だった岸川元陸将も代表を務めているJMAS(日本地雷処理を支援する会)というNGO団体にもおられたが、7名もの同志が殉職されたの機にJMASを離れ同じくNPO法人「国際地雷処理地・地域復興支援の会(IMCCD)」を立ち上げられた。高山氏や岸川氏や不肖・宮嶋をあまたの死地に送り込みながらはしごをはずしつづけられた元防衛庁長官官房広報課の森田2佐(当時)も職種は施設であった。まあ戦後の自衛隊はなるべく旧軍と違うというのを強調したかったのか職種がわかりづらい。歩兵を普通科、工兵を施設なんて具合。で結局英語にしたら、「インファントリー」に「エンジニア」と同じである。これ皆ケンポーの悪癖であろう。