夕刊フジ 8月1日号

夕刊フジ 8月1日号 夕刊フジ 8月1日号
■発行産業経済新聞東京本社2019
■定価150円(税込み)

今回の連載は久しぶりに半島ネタの不愉快な話やなしに、中東ネタや。どないなるんや?ホンマ。これやったら25年前の第一次湾岸戦争のときと変わらん状況やないけ?ほんま、あのときみたいに我国はゼニだけだして人も出さんどころか、一滴の汗も血も出さんつもりかいな?またバカにされるで・・・というったて、やっぱ25年も経つと歴史も忘れるんや、人類は。いや、日本人はと言うべきか。韓国人は「1000年経っても被害者と加害者の関係は変わらない」と前女性大統領、現受刑者と言う。それやったら700年前、当時の高麗は元の手先となり、現長崎県対馬を侵略、殺戮、略奪のあげく200人の日本人を奴隷とし朝鮮半島に連れてった加害者というのも変わらんやんけと突っ込もうにも、塀のなかまで、日本人の声は届かんようにしとるやんけ。まあこないにご都合主義は恥と思う日本人でもやで、28年前ぐらい覚えとかんと・・・当時も自民党政権やったが、当時の海部俊樹首相をあごで使っていた当時の小沢一郎幹事長、現生活の党やなくて・・国民民主党?の代表やなくて、役職はないけどただ所属しとる衆議院議員が当時のイラクの独裁者サダム・フセインの一方的な論理によりクエートに侵攻して始まった湾岸戦争に米英国を中心にした多国籍軍に参加せず、ゼニだけ出して結果、国際社会からも、くだんのクエートからも忘れられたいう恥ずかしい思いしたのを忘れてしもうたんや。当時も日本経済の血液とも言うべき原油のほとんどを中東食に頼り、その生命線ともいうべきペルシャ湾がサダム・フセインのばら撒いた機雷で埋め尽くされ、タンカーも通れんようになっとってもである。当時のゼニで130億ドルという多国籍軍のなかでも最大の戦費を供出したのにもかかわらず、血も流さず、汗もかかなかった日本はまさに中東諸国からも世界からも嘲笑の的になったのである。これに懲り戦後はペルシャ湾に世界最高水準を誇る海上自衛隊の機雷掃海部隊をペルシャ湾に派遣。当時の落合1佐が指揮したペルシャ湾派遣部隊は国際社会の期待に応え、見事計34個の機雷を発見処分し、国際社会の日本に対する評価は激変、良くなった。この結果、翌年PKO法成立の一因となり、これ以降日本はPKOに積極的に参加するようになった。わしもこのペルシャ湾に行ってきた。作戦名「湾岸の夜明け」国際コールサインでオペレーション「GULF DAWN」(ガルフ・ドーン)、UAEドバイのアル・ラシッド港から補給艦「ときわ」に乗り込み、日本部隊活動海域MDA7(マイン ディスポウサル エリア)で当時の掃海母艦「はやせ」に乗り換え、さらに掃海艇に乗り込んだ。正直目に見えぬ機雷の恐怖より、35度いやもっと強烈に照りつけるペルシャ湾の太陽と湿気にこんな洋上で活動および生活する苦労は想像を絶した。3年前の年末、派遣部隊25周年の宴会に招かれ、当時のなつかしい面々に再会できた。特に思い出深かったのは指揮官の方々もまあ当時のプレッシャーはそうとうなもんやったろうが、それより、日焼けで真っ黒やった猛者が結構なお年になっておられ、定年を控えておられたことか、さらに特に海底機雷に爆薬を仕掛けてくるという発狂しそうな任務を受けていたEOD(水中処分員)がおっさんになっていたことであった。