週刊新潮別冊60周年記念 (9月23日号別冊)

週刊新潮別冊60周年記念(9月23日号別冊)
■発行新潮社
■定価 440円(税込み)

すごい!グラビアの「総理の肖像」と「大物がいた時代」だけで写真集がでけるぐらいの質と量である。これで税込み440円は超お買い得、実際週刊新潮通常号よりようけ売れたと聞いている。さよよですか・・・週刊新潮が発売されて、60年でっか。創刊して1年も続かん雑誌があまたあるなか、60年も・・・時には世間をガビーンと言わせたスクープもぶち上げ、兄弟誌の今は休刊中の「フォーカス」の分まで、がんばって、70年、いや100年を目指しとくなはれ。そん時までワシの目が黒いかどうかは、はなはだ危ないが。さて、わしが本号でインタビューお受けしたのは「20世紀最後の真実、偉人怪人列伝」の特集のなかの「赤尾敏」のコーナー、特集7番目のコーナーで「愛国党、赤尾敏がいたから要人警護SPが創設された!」のタイトルがつけられた。インタビューは拙宅の近くの喫茶店に。ライターの方と編集の方2名もお越しになられた。ワシのほかには愛国党の渡辺氏も取材におうじられていたが、ワシも知らんかったエピソードをご披露されていた。ただ正確に言うたら、SPを造ったのはもちろん警視庁なのだが、間接的に造ったのは、赤尾敏が総裁を務めていた愛国党の筆保書記長(当時)が日本武道館で執り行われていた故佐藤栄作元首相の葬儀に出席した当時の三木武夫首相に近づき、ぽかりとどつき逮捕せれた事件がきっかけで、日本の警察もアメリカのシークレット・サービスみたいなわざと目に付く警護体制のセキュリティー・ポリス、通称SPがでけたのである。最近では民間のガードマンまでSPと呼ぶこともあるが、正式なSPは警視庁のみで、他道府県ではあのSPバッヂをつけている警察官はいないはず。まあそれぐらい当時の政府、警察にとってはショッキングな事件やったという。ほかには、これまたSPがらみになるが、なんと!「俺も昔はワルだった」を気取るための20世紀の「警察業界」の隠語辞典なるもんが、ご丁寧にあ行から羅列されている。なかには犯人を指す「ホシ」なんてのもあるが、いまどき刑事ドラマでも使わんぞ。被疑者を指す「マル被」やろ・・・いややっぱ「ホンボシ」というから結構使うとるか・・・この「ホシ」は目星が語源やったとは・・・まあすごい!こんな辞典が活字になったんは初めてちゃうか?さらにほかには特集皇民党の「竹下登」ほめ殺しもなつかしい。「ほめ殺し」という言葉自体もはや死語になりつつあるが、このほめ殺しの結末の竹下首相の田中角栄元首相邸への謝罪訪問やが、ワシはフライデーの専属カメラマンとして、このとき田中邸の門にみなといた。竹下首相のセンチュリーが突如目白に来たと大騒ぎになったが、ワシはこのとき透かし撮りに慣れておらず、撮りもらし、同じフライデーのカメラマンだったOカメラマンの写真がフライデーに掲載された。さらに皇民党の先代の稲本虎翁総裁とは意外なとこでお会いし、写真も撮っていたことがある。それは第一次湾岸戦争勃発直前のバグダッドのサダム・フセイン空港でである。ワシはA.猪木当時の参議院議員とチャーター機でバグダッド到着したときに、若い世代が多かった訪問団と一線を画した稲本総裁が出迎えにこられていた。わしは稲本総裁と知らず、まあ撮るワシもワシやが、声をかけ写真を撮っていた。のちに「佐川急便事件でこのときのチャーター機」も問題になり、稲本総裁の名もあがり、驚愕したのをよーく覚えている。またまたほかには「麻原彰晃」はいかにして「超高学歴信者」を信服させたか?の特集ページで石垣島セミナーの、当時のフォーカスのYカメラマンの撮った、麻原一行が写ったカットが掲載されている。このシーンじつはビーチには、ワシもいた。ワシだけやなく、本週刊新潮編集長、当時はフォーカスの記者だった酒井逸夫氏もワシの横でマントラ唱えるふりして潜入していた。そのビーチにはほかにもジャーナリストの江川紹子氏や、福田文昭カメラマンもいらしたが、目立つ江川氏にオウム共が騒ぎ出し、麻原や当時は幹部だった上祐氏らがしゃしゃりでたとこやのである。せやからフォーカス掲載時は印刷よかったので、手前の麻原一行や本号でもようわかるが、ワシも後ろのほうで写っているのが見えるはずである。