月刊モデルグラフィックス 379号 
2016年6月号

月刊モデルグラフィックス 379号 2016年6月号
■発行大日本絵画
■定価743円(税別)

模型専門誌に写真を掲載していただいた。しかも「がんばれ!昭和の自衛隊!」の特集で。せやけどワシが集中的に自衛隊取材始めたんはまだ前世紀の90年代、ペルシャ湾への掃海部隊派遣からやからせいぜい25年ちょい、そうなったら現在平成28年もう平成になってたことになる。世紀はまたいだが。それでも北海道の第7師団を取材したときには現役主力戦車の10式戦車の先々代の74式戦車がブイブイ言わせていた。そういう意味で74式戦車は昭和の戦車やわ。このわしが写ってる掲載写真やが、はっきり言うて、撮り人知らずの記念写真、拙著「不肖・宮嶋 史上最低の作戦」に「不肖・宮嶋 バルジ大作戦に参戦す」の巻きで北海道の大演習場で取材したときのものである。まあ当時は本特集でも述べられてる通り、ソ連の脅威がしゃれにならんかった時代である。まじでソ連軍が攻めてきたら、北海道の機甲師団の活躍如何では我が国の運命は風前の灯火やったのである。そういう時代やからこそ、演習とはいえ、ほんまもんの「バルジ大作戦」なみの物量、機動力を見せつけられたのである。しかも時代柄か演習中はずうといわゆる「状況下」つまり連続した戦闘演習状況の想定、当然参加将兵に朝も夜もない。わしも広報幹部がつきっきり、陸曹がころがすジープに乗って自由に取材でけた。しかも対抗誌の姿もなし。演習は空砲こそ使用してるが、そりゃあ銃声、砲声が北海道の原野にとどろきまくっていたのである。こんな恵まれた取材中に帝都では予想もしてないことが起こった。民族派の野村秋介氏が朝日新聞社内で自決を遂げたという。わしは野村氏とはほんのちょっと前まで、イタリアやスペイン行って、写真撮っていたのである。野村氏の監督する映画のスチール用という仕事から付き合いが始まり、そのうち氏の破天荒な生き様を記録する意味合いを持ち始め、そのために、日本全国、いや世界中で氏についていってたのである。そしてそれはとても死を覚悟したものでなかったのである。いったい何が起こっているのか、そしてそんな写真を撮り続けていたワシは何をすべきか、北海道の原野で途方に暮れているより、まず、取材に没頭もできるわけもなく、部隊とこの取材の企画を出し、掲載予定であった週刊文春のわしの担当デスクに断り、最終日の取材をキャンセルして帰京した。当時携帯電話がまだめずらしいうえ高価な時代、北海道でなかなか電話がつながらず、イライラが極端までたかぶり、頭をかきむしった記憶がこの写真を見るたびに想い起こされる。