ストライク アンド タクティカル マガジン 
5月号

ストライク アンド タクティカル マガジン 5月号
■発行(株)SATマガジン出版
■定価 1,728円(税込み)

今回の連載は鹿屋で初飛行に成功した、日本人所有のゼロ戦のストーリーである。実はほんまもんのゼロ戦が戦後飛んだのはこれが初めてというわけでない。20年前茨城の龍ヶ崎でゼロ戦52型が飛んだのが初めてである。この52型のほうはエンジンもオリジナルの栄エンジンであり、去年入間の航空博物館でエンジン始動したのと同じ機体である。ただ今回のは同じゼロ戦でも22型、しかも52型はアメリカの博物館所有のにたいし、この22型はニュージーランド在住とはいえ、日本人の石塚政秀氏所有、そういう意味でほんまの里帰り飛行ともいえる。しかもここは鹿屋である。ここ鹿屋が神風特攻機の出撃基地であったことは日本人なら小学生でも知っていることなんで、ここであえてこれ以上説明不要やろが、現在は海上自衛隊鹿屋航空基地である。わしはそういうわけで鹿屋とは縁が深くもうたびたび訪れている。鹿屋航空基地としてはかつての名機の研究の目的で格納庫と滑走路や基地機能をこの石塚氏の初飛行プロジェクトに協力していた。しかしまあ本音は自他共に認める帝国海軍の良き伝統を受け継ぐ海上自衛隊はここから飛び立ち沖縄沖で散花した800余柱の英霊も喜ばれるであろうの一念からではなかったであろうか。またこの取材では空撮や動く乗り物撮影に最適といううたい文句の新カメラEOS 7D Mk.IIを使用したのやが、センサーにでっかいほこりが付着し全カットにみっともないしみを作ってしまい、またそのことに取材が終わるまで全く気がつかんかったのである。最近のデジカメのでっかいモニターはこういうときに役立つためなんやが・・・やっぱり初物にはトラブルつきものや。もちろん掲載写真はぜんぶホコリは消去してくれたが。じつはこのゼロ戦里帰りもずうと注目してきたストーリーやが、他にも目を離せん航空機があった。それも本誌66,67ページで掲載されている我が国初の国産スティルス機の報道公開であった。それがこの飛行の翌日に計画されていたのである。しかも鹿屋から遠く離れた小牧で。この翌日はこの22型が鹿屋から鹿児島空港までの実質の初任務飛行も予定されており、この日と別のポイントでの撮影を計画していたが、うーんどないしょ・・・しかも都合ええというか悪いというか鹿児島ー名古屋は直行便飛んでいるのである。セントレア(中部国際空港で小牧空港とはちゃうんやが)無理すれば両方取材できるかも・・・とも何度も思うたんやが、やっぱ無理かなあ。特にこの週には何十年ぶりに鹿児島も大雪に襲われ、高速が使えるかどうかも分からんかったのである。結局この取材のあとなんとか名古屋に移動したが、セントレア到着した時はレンタカー屋も閉まり、名古屋市内のホテルまで3万弱もタクシー代がかかったうえ、町も夜中で静まり返っていた。よう考えたらセントレアは夜間も離着陸できるので、空港ホテルが2つもあり、そこで一泊し、朝一でレンタカー借り上げたほうがよっぽど取材費安くあげることができたはずやった。まあそれでも翌日は前日撮ったゼロ戦のふるさとでもある三菱の名古屋工場でその末裔の国産スティルス実験機も取材でき、その名も先進技術実証機、ATD-XはX-2と命名され、これまたその直後わしは再び鹿児島空港までトンボ帰りした。