新聞「アイデンティティー」 第71号![]()
わしの実家は兵庫県の明石であるが、まあ子午線とタコぐらいしか東京では知られてない。わしが上京したてのころ、同級生だった前妻に出身を尋ねられ明石と答えたら、「それ何県?」と言われショックを受けたのを思い出す。上京してから正午を迎えるたびに故郷を思うわざる日はないというに・・・まあ他にも鯛やあなご玉子焼き(明石人以外は明石焼きなどという)、今の季節は明石はたらこならぬ鯛の子の季節である。母ともども明石ぐらいでしか口にはいらんので、帰省が楽しみなんやが、いかんせん地理的に地味である。南は明石海峡、東と北をぐるうと神戸に囲まれ、瀬戸内海にべたーとへばりついたロケーションである。せやからわしの実家から100mで神戸垂水区である。母も今は明石海峡大橋を望む明石の住吉神社そばについの住処を見つけたが、時々体調くずすと、入院するさきは須磨、つまり神戸である。父の葬儀も明石と西明石の中間の会場やったが、住所的に神戸西区。父が生前隠居するまで働いていたのも神戸市西区の川崎重工関連会社であった。その神戸市西区で編集、発行されている新聞「アイデンティティー」に寄稿させていただいた。その名のとおり、日本人のアイデンティティーを確立させるため、神戸から一念発起されたが、わしの写真展にもお越しくださったのが、その編集、発行人でもあられる葛目氏であった。先日8月15日の終戦の日、大阪の護国神社で講演させていただいたときもわざわざおこしくださった。今年も残すところわずかやが、無事母の居る明石で新年を迎えたい。今神戸はルミナリエかいな・・・せやけどあれ年末までやらんから、一回もこの目で見たこと無い。一回だけ神戸空港から帰省する途中、元町で降りて見にいったろかいなと思うたが、あまりの人出にびびって、明石に直帰したわ。今年はいったろかな・・・ |