デーリー東北 5月30日号

デーリー東北 5月30日号 デーリー東北 5月30日号
■発行デーリー東北新聞社
■定価120円 月ぎめ2,900円(税込み)

記念すべき・・・ほどやないが、わしの誕生日の新聞にわしの署名原稿が掲載されるとは二重にめでたいやないか。まあ誕生日を祝う年でもないが。しかし、新聞紙上にコラムや連続小説以外に、まあ特に一面、社会面、国際面に、わしらバッタフリーの原稿が掲載されることはめったにない。それは朝日新聞なら朝日新聞の社員教育をみっちり受けた朝日人の手によって書かれた記事こそ、社会面を飾られるべきであるという、まあフリーの書く原稿なんぞ信用でけるかえ、的な思考回路なんやろ。現に2003年、イラク戦争終結後、ヨルダンのアンマン国際航空で、クラスター爆弾を機内に土産として持ち込もうとした日本人カメラマンが逮捕されたという一報が入った時、そのあほが社員やった毎日新聞の幹部はあほの身元が判明するまで、「フリーの人だと思った」と堂々と自社の紙面の検証記事で書いたぐらいである。わしはそのとき、毎日新聞ではわしらフリーの書く記事は永久に紙面化されんと確信したもんや。それが今回写真入りでわしの原稿が掲載されたのである。それもそのはず、デーリー東北はその名のとおり、東北の地元紙である。その青森に駐屯する陸上自衛隊第9師団が南スーダンPKO第11次隊として派遣されることになったからである。それも10次隊までと違い、いわゆる「駆けつけ警護」や「共同防護」などの新たな任務を付与されてである。その新たな任務の「駆けつけ警護」等やが正確に言うたら本が一冊書けるほど、いろんな条件があるんやが、要はPKOに参加している他国軍でも、暴徒に襲われたり、紛争に巻き込まれ危機に陥ったら、自衛隊部隊は駆けつけて、お助けすることがでける。しかも必要とあらば、武器を使用しても、他に手段なければ、敵を射殺してもええようなったという、なんや今まで自衛隊PKO部隊はそんなこともできず、手を縛られんかいな・・・というしごく真っ当な権利がむしろ遅すぎたこの時期になってみとめられただけであるが。まあしかし当然のごとく左マキや自称・市民団体が「教え子を戦場におくるなあ!」やの、オンドレらは戦場いったこともないくせに、また「自衛隊員を人殺しにするなあ」と自らはただのひとりもたすけたことないくせに、災害派遣やPKOで多くの人を救助しているそんな自衛隊員を日ごろから「人殺し」とおとしめてる連中がヒステリックに騒ぎ出すわ、一部新聞がまたそんな左マキをあおりまくったのである。確か25年前も朝日、毎日新聞は日本が始めてPKOに参加しようとしたときも、自衛隊を海外に派遣するためのPKO法案に堂々と反対を、表明、その紙面を使って、今にも自衛隊は全滅するかのごとく、危機をあおり、自衛隊員やその家族を不安に陥れたもんやが、その初めて自衛隊がPKO派遣された先カンボジアでは、ポルポト派等の妨害、破壊工作等はあったものの、自衛隊が補修した道路、橋のおかげもあってか、スムーズで民主的選挙が成功、25年後の現在、カンボジアはアンコール・ワットを抱える、安くて、エキゾチック丸出しの、一大観光立国であるばかりか、今回自衛隊部隊が派遣されている南スーダンに国連の憲兵隊部隊を派遣しているぐらいである。あげく朝日新聞はPKO法案に猛反対しとったことはおくびにも出さず、もっとPKOに派遣すべきと、日本政府のケツたたくしまつである。今回も意地になって左マキあおって、新たな任務を認める法令反対しとるけど、何年かさきにはまた、あのとき南スーダン派遣に新たな任務与えてよかったやないかと、紙面作るハメになるで。原稿寄稿のきっかけはそういうわけで、わしが今回部隊の基幹となる第9師団が駐屯する青森駐屯地で南スーダンに出発する部隊の壮行式にあの稲田防衛大臣も出席して行われるというので、駆けつけ、そこで地元デーリー東北の青森支局長から声をかけられたことが、きっかけであった。左マキのみならず、日本中の人が今回の派遣部隊に与えられた新たな任務を行使するような事態に巻き込まれるのか、部隊はそれでもたんたんと任務を遂行できるのか、それでも皆無事帰国してもらいたいと、祈るばかりか、大注目しとるのである。にもかかわらず、当地は邦人退避勧告が出っ放し。まあわしから見たら大げさやけど、それでも退避勧告も出さず、日本人が怪我でもしようもんなら、ヘタレ外務省の責任問われる・・・ただその理由で出っ放しなのである・・・とわしは邪推する。まあ第一南スーダン行くまでが大変や。わしも行く前はいったいどうやって、どこ経由で、査証はいるのか、さっぱり知らんかった。そこで自由な取材どころか、邦人退避勧告でとるから、すぐ国外に退避せえと嫌がらせされたら、取材どころやなくなるのである。というわけで、せっかく地元の若者のアフリカでの活躍を地元紙がアフリカ大陸の現場で取材できんという事態にあいなって、「宮嶋さんは現地いかれましたよね」とお声がかかったのである。かくいう不肖・宮嶋、南スーダンどころか、日本が参加した全PKO皆勤賞である。で、喜んで寄稿させてもろた。新聞での紙面化とはいえ、条件は写真の提供もと、現地での彼らの活躍を中心にというぐらいで、わしの普段の過激な言動はまったく問われなかった。原稿料も過分にすぐにいただき、恐縮至極である。願わくは日本政府もあんまり、責任を気にせず、わしらの自己責任において、自由に取材させて・・・どころかもっと便宜供与してもええんちゃか。