朝雲新聞 10月20日号

朝雲新聞 10月20日号 朝雲新聞 10月20日号
■発行朝雲新聞社
■定価一部140円 年間購読料9,000円(税込み)

わしの写真展70年(70th Anniversary)に横山記者や薗田氏らがわざわざお越しになられたなられたばかりか、朝雲紙面でご紹介してくださった。。おかげさまで毎日たくさんの方、特に現役、や元自衛官の方々も多数お見えになられた。わしの写真展は前回の「アサイメント」(Assignment)もそやったが、東京より大阪のほうが出身地兵庫県に近いので、お越しになられる方が多い。まあ前回の「アサイメント」はキャノン・ギャラリー梅田はもうホンマに大阪駅のまん前やったという、ロケーションのよさもあったが、今回の「70年」は東京が六本木のミッドタウン、旧防衛庁跡地という、ド派手なロケーションで10,000人弱の来場者数やったが、大阪はちょいと、梅田から地下鉄乗る必要がある。詳しい場所はホームページ冒頭にも紹介させてもろとるが、地下鉄御堂筋線の本町駅と堺筋線の堺筋本町駅のちょうど中間地点あたり。まあフジフィルムサロン東京も駅は六本木というても、住所的には赤坂やし・・・・ほかには一面には東ティモールの初代大統領のインタビュー記事と写真が掲載されている。わしはこのグスマン大統領とは浅からぬというほど、深くないが、因縁がちょこっとある。わしが東ティモールに初めて訪れたのは2001年、21世紀なったばっか、東ティモールもインドネシアからの独立前で、完全な国連統治下、旅券の入国スタンプも「UN」と押されたぐらい、独立前に大統領選挙を控え、そこらじゅうに候補者のポスターが貼られていた。そのなかでも最有力候補がこのグスマン氏、ポルトガル語なんやろうが「Xanana Gusmao」とかかれており、どう読むのかさえ知らんかったぐらい・・・というか、東ティモールの「Timor Leste」が何語かも知らんかったいうぐらい無知やったのである。戦時中は帝国陸軍がオランダ軍と戦い進駐していたのにもかかわらず、まったく不勉強のまま行ったのである。大統領選挙直後の記者会見には、国が小さいので集まったカメラマンもそないに多くなかったが、本人とオーストラリア人の夫人、と金髪の子供がおり、そのときの家族といっしょの写真を週刊文春に掲載したが、夫人の足元でまだはいはいする長髪の子供を娘と書いてしまった。あとから当時は日本に大使館なかったから苦情は来んかったが、同業者から間違いを指摘され、本当はアレキサンドル君という」息子であったとい大恥かいた。東ティモールには初めて日本の首相がPKO部隊を視察に来たり、独立宣言集会から記念行進とのべどれくらいやろ・・・二月ぐらいおったかな・・・なんちゅうても法律というか主権国家がなかったから、中型バイク、書類無しで買えそれを足代わりにしていたぐらい。独立記念パレードには当時のアナン国連事務総長やクリントン当事は前米大統領まで出席したが、なにより独立したばっかですでに陸海軍部隊が創設され、行進した。独立したからには国家として国防も重要ということが、いまだ陸海軍が持てないわが国より、よう分かっていた、国民やった、さらにグスマン氏はオランダ人とのハーフといううわさながら独立革命運動の司令官までつとめ、ジャングルでの長期潜伏しての戦闘中にマラリアにかかり、当時もそれに悩まされていrたいう。どこぞの3代目と違いホンマの戦略家やった。あれ以来行ってないなあ・・・ティモール・・・大統領との会見場となったちいさいホテルの前の。あのおそろしいほど美しいビーチにもかかわらず、インドネシア軍との内戦で観光客ゼロというシュールな光景が今も思い出される。