不肖宮嶋、難民になる2!
トホホ宮嶋、サマワ残留
 しかし楽しいしかも安全な宿営地暮らしも長く続かなかった。安全を求めて収容されたからには、ここからさらに安全な第三国に脱出するとゆうのが、ここに安全に収容される条件だったのであった。なんちゅうてもこの国は日本の首相の口からも行かないでくれとまで言いわせしめ、政府が超A級の待避勧告をだしている土地だったのであった。当然自らの意志で脱出をしない以上、これ以上宿営地にとどまれる法的根拠はないのであった。

かくして宿営地で同じ屋根の下、同じ釜の飯を食った大新聞、大テレビ局の皆様は日本政府が用意した航空自衛隊のC−130輸送機に乗って、大量にある機材や荷物の超過料金を支払うこともなく、安全なクエートに脱出して行かれた。

 ああC−130は出て行く宮嶋残る。これからはこんな土地でひとりで生き延びていかなければならないのである。納税者の私が身銭をきって安全を買い、外務省サマワ事務所のお役人様がこれからも550人の自衛隊員に囲まれてさぞかしお国のためにりっぱな仕事を安全にこなされるのであろう。なんや釈然とせんまま、トボトボと宿営地を追われる不肖宮嶋であった。

 未公開フォトを含め、今回の駐屯地生活と、それからしばらくの間に撮影したものを、次ぺージ以降に一気に掲載するので見て欲しい。次にアップできるのはいつのことやら・・・・。

砂漠の上ですっかり砂嵐にもまれて貫禄のついた軽装甲機動車。ガキはカメラを見つけると、猛スピードでダッシュしてくる?
砂のほかにきれいなもんなんかなーんもない土地だけど、夕日だけはおそろしく美しい。当直あけにやっと防弾チョッキと重い小銃から解放され美しいものに目を向ける余裕ができたルワンダの戦友佐藤一曹ほかの皆さんか?員
今は避難民となった報道陣の皆さん、取材はできんことになっているとはいえ、通信の自由を認められてからはあっという間に砂のもとい砂利の上にインマルサット衛星電話のアンテナが開いた。
国内で戦闘するのが前提だった我が陸上自衛隊。国内仕様だった八九式小銃をイラク市街戦仕様に実戦向きにバージョンアップ。ダットサイトは私物だそうです。フォアグリップもハンドメイド。キャンプ・バージニアのGIからもいいなあとうらやましがられた一品。でもダットサイトで視線が上になったぶん、チークパッドかなんかで下駄はかさんと、ほほ付けできんで・・・照準が安定せんと思うがか?員
広報班のマスコット、アヒル隊長、弱そう?員
番匠組系武走集団浜口組若頭
吉田1曹、強そう?
か?員
クエートに脱出する避難民兼報道陣の皆様を航空自衛隊のC−130輸送機が待つたりる空港まで護衛してくださった猛者たち。やっぱ強そう。サマワ宿営地ではマリンカット(カッパの反対)がいまトレンド?員